私共夫婦は2005年7月2日レオン発のトランスカンタブリコ号乗客となりました。
レオンのパラドールに正午集合、2時間ばかりの市内見学の後にパラドールでの豪華昼食から始まったこの旅は期待をはるかに上回る楽しい、愉快な旅になりました。
列車は11両編成で、そのうち4両がダイニング、バー、そしてダンス用のラウンジ車両でした。ガイド(女性)、マネージャー(女性)、毎朝給仕を務めてくれる美しいお嬢さん達、ガードマンなど総勢10名ほどのスタッフが8間の旅をサポートしてくれました。
寝台車は新しい車両ばかりでしたが、2段ベッドの客室を選びました。梯子の昇り降りには少々注意が必要でしたが、幸い夜間は駅に停まっていますので睡眠には苦労しませんでした。何よりも気に入ったのは上からも、横からも、足元にもお湯が注がれるシャワー室でした。コンパクトにできていますが、機能は十分でした。
偶々でしょうが、私共が参加した回の参加者は総勢23名で、イタリー女性が2人、イギリス男性が1人、我々日本人2人の他は全て国内の色々な都市から集まってきたスペインの方々でした。
行く先々でリムジンバスが先行していて、その土地の名所旧跡に案内してくれるのですが、バス定員の半分にも満たない人数ゆえ、たちまち全員仲良しになれた気がします。
古代ローマ時代の遺跡から、巡礼路にある古い教会、アルタミラ洞窟、レコンキスタ発祥の地など興味を覚えるものも数え切れない程でしたが、楽しみは毎日の料理でした。
行く先々でその土地一番のレストランに案内してくれて、郷土が誇る料理を堪能させてくれます。
昼食は2時ごろから、そして夕食は9時ごろから始まります。最初から出てくるワインも「クリアンサ(4年物以上)」あるいは「レゼルバ(更に高級)」ですし、列車が海岸線を走るだけに海産物の美味さは日本以上ではないかと思いました。
特に気に入ったのは、アルメッハ(あさり)、プルポ(たこ)とビエイラ(帆立貝)でした。白ワインに最高にマッチします。
この旅で一番学んだのはなんと言ってもスペインの方々の「人生の楽しみ方」ではないでしょうか。
妻はスペイン語教室に数年間通った腕前を発揮して奥様方と直ぐ仲良しになっていましたが、英語しかできない旦那の方は悪戦苦闘の連続でした(スペイン人で50歳以上の方は先ず英語が話せないと考えた方が無難)。
テーブルを囲んで身振り・手振り、それでもメモ・ノートに色々スペイン語で書いて頂き、魚やワインの名前も随分覚えることができました。
何といっても、飲むことと話すことの大好きなラテン気質ですから、遠慮なく尋ねさせていただき、親切に何度でも教えてくれる方が現れてこちらから勝手に「プロフェソール」と呼ばせていただきました。
夕食を終えて、列車に戻るころには真夜中を迎えることになりますが、スペイン人の夜はそこから始まるという感じです。
バーとダンス用の車両に集まり、ほとんど全員で踊りまくります。70歳代の老紳士が華麗なステップを踏むのには唸らされました。
2晩ほどはプロの歌手が参加して盛り上げてくれます。午前2時、3時まで踊りは続くのですが、翌朝9時にはけろっとして朝食に現れ「ブエナス・ディアス」を振り撒きます。一体何時休んでいるのか最後まで不思議でした。
旅の最後の夜は全員で投票を行います。最もフレンドリーで誰よりも心配りのあった方(スペイン語で「シンパティコ」)が最も名誉な賞ですが、これは私のプロフェソールを務めてくれたスペイン男性が受賞しました。次いでMr.TranscantabricoとMiss.Transcantabricoが発表されましたが、私と妻が選ばれるという望外の喜びがありました。
もっともこれは、遠い東洋の日本(スペイン人にとってはとても遠く感じられるらしい)からやって来た我々2人をもてなしてくれるという彼らのホスピタリティーの現れなのですが。
「Most Sexy」という投票もありますので、自信のある女性(男性も)は期待されては良いのではないでしょうか。
最後のサンティアゴ・デ・コンポステーラの昼食会の後はお互いの住所やメールアドレスの交換で忙しく、別れが尽きぬ時間でしたが、その夜サンティアゴに泊まるスペインの3組の夫婦と「別れのディナー」を楽しんだのも忘れられない思い出となりました。
夜も更けたサンティアゴの街の通りで、彼らは肩を組み、私共夫婦のために別れの歌(アストリア地方の歌)を歌ってくれました。別れて1ヵ月後の8月には早くも最初の同窓会を開いたとの便りを貰いました。
我々も是非もう一度スペインを訪れて、彼らに会いたいという思いが募るこのごろです。
下記の写真は、すばらしい想い出写真です。
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